早稲田と児童文学


早稲田と児童文学




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早稲田の児童文学

前川康男 

 子どものための文学という新しい文学を生んでいくのには、早稲田大学という革新的雰囲気がふさわしかったのではないでしょうか。作家・詩人・評論家・翻訳家・編集者に早大出身者が驚くほど多く、その人たちが、今日の児童文学を作り上げたと言っても過言ではないと思います。

 子供たちの文学の芽を早大に植え付けたのは、早大出身ではありませんが、『家庭用児童劇』3巻、『児童教育と演劇』を書いた坪内逍遙であり、もう一人、東京専門学校(早大の前身)の文学科卒、雑誌「少年文庫」を編集した島村抱月でした。逍遙抱月が植え付けた芸術教育・児童文学の芽が、小川未明北原白秋野口雨情西条八十坪田譲治浜田広介秋田雨雀・安倍季雄・楠山正雄吉田絃二郎前田晁有本芳水海野十三渋沢青花伊藤貴麿・松原至大・北村寿夫・江戸川乱歩・高垣眸・吉田甲子太郎水谷まさる・酒井朝彦・川崎大治・佐藤義美・打木村治・藤田圭雄・木内高音などの人たちによって大きく花開いたわけです。

 未明が日本最初の創作童集『赤い船』を出版したのは明治43年でした。お伽噺レベルだった子どもの文学を近代文学に引き上げ大きく展開していった人として特筆しなければならないのは、未明と、童謡の白秋、魅力ある童話の主人公善太・三平を描き上げた譲治、幼年童話の広介、推理小説の江戸川乱歩ではないでしょうか。

 大正14年、関東大震災で焼け出された人たちを収容する浅草の震災小屋へ子どもの慰問に出かけていた学生によって「早大童話会」という会が作られました。早大には子どもの文化にかかわる学生の会が一つもない、ぜひ活発な会を作ろうというのが創立の趣旨だったそうですが、いかにも早大生らしい発想です。私も昭和14年第一早高入学と同時に、この会に入って童話を書き始めました。未明譲治広介の3作家が会の顧問をしてくださっていて、始め広介が、続いて譲治がたいへん熱心に文学論を語ってくれました。

 戦後、混乱の中から早大出身の児童文学者が生まれましたが、戦後から今日まで、紙幅の許す範囲で列記してみます。岡本良雄・鈴木隆・今西祐行・竹崎有斐・大石真・寺村輝夫・砂田弘・高橋健・村野夏生・中村浩三・塚原亮一・内田莉莎子・松谷さやか・鳥越信・古田足日・神宮輝夫・山中亘・鈴木実・小桧山奮男・小沢正・川北亮司・後藤竜二・さねとうあきら・三木卓・鶴見正史・稲垣昌子・浜野卓也・北川幸比古・小西正保・征野清・大海赫・三田村信行・杉山径一・別役実・武井博・飯田栄彦・矢崎節夫・きどのりこ……。