プロレタリア文学・大衆文学をめぐって
高橋春雄
大正末から昭和初年にかけての1920年代、日本の近代は大きな転機を迎えていた。プロレタリア文学もまた世界的同時性を持ちながら、当時の文壇に1つの熱気を刻みつけていた。
大正10年(1921)、フランスから帰ったばかりの小牧近江は「種蒔く人」を創刊してプロレタリア文学の成立に磁石を築いた。革命の前後をロシアに遊学した片山伸も帰国後プロレタリア文学理論の発展に啓蒙的な役割を果たし、平林初之輔はこれを受け継ぎながら「種蒔く人」に加わってプロレタリア文学運動にの理論的支柱となり、更に青野季吉が「文芸戦線」時代にかけて指導的理論を展開する。特に、「自然生長と目的意識」はプロレタリア文学の思想性や政治性を前面に押し出し、やがて「戦旗」時代になると蔵原惟人が「前衛の観点」を主張してプロレタリア文学はいよいよ自己晶化の道をたどることになる。
理論の展開と創作とが競合したのもプロレタリア文学の特色だった。「種蒔く人」創刊のころ葉山嘉樹は労働運動にかかわることが多かったが、『淫売婦』や『海に生くる人々』は刑務所の中で執筆されたもの、労働文学からプロレタリア文学への進出を鮮やかに印象づけて、黒島伝治や小林多喜二にも大きな影響を与えた。「種蒔く人」創刊の大正10年、黒島は姫路連隊からシベリアに派遣されるが、この時の体験は後にシベリア物と呼ばれる反戦小説に結実する。やがて「前衛の観点」は黒島に『武装せる市街』を書かせ、多喜二に一連の作品を遺させることになった。
プロレタリア文学が歴史的概念として成立、発展、崩壊していったのに対し、用語そのものとしてはプロレタリア文学に続いて大正末に成立した大衆文学は、その前史をも含め、それぞれの時代を反映して多様な展開を遂げながら今日に至っている。 |