山崎剛平と砂子屋書房


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山崎剛平と砂子屋書房

 尾崎一雄の『暢気眼鏡』、太宰治の『晩年』をはじめ、多くの文芸書を世におくった昭和前期の特異な出版社として、砂子屋書房の名は昭和文学を語るに欠かせない存在である。

 砂子屋書房の創始者、山崎剛平(1901〜)は兵庫県生れ、大正15年早大国文科卒。在学中から歌人として窪田空穂に師事し、歌誌「槻の木」を創刊主宰する一方、 高等学院同級の尾崎一雄らと「主潮」「文芸城」「新正統派」などの同人に加わっていた。

 砂子屋書房を創立したのは昭和10年10月10日のことで、浅見淵古志太郎が出版企画に参与した。当時は不景気の時代で、新人作家の作品集などはほとんど出版されなかったが、経営には全くの素人の文学青年ばかりで作られたこの書肆の最初の仕事は、そうした未だ無名の新進作家たちの作品集を「第一小説集」と名づけ、 叢書として刊行するというものだった。外村繁の『鵜の物語』をその第一回として、全20篇の「第一作品集」 シリーズが出版されたが、外村の本は検閲にひっかかり、太宰の『晩年』初版は半分しか売れず前途多難の出発であった。砂子屋書房の経営が軌道に乗ったのは、尾崎一雄の『暢気眼鏡』がタイミングよく芥川賞を受賞し売り切れてからであった、と浅見淵が書いている。(『昭和文壇側面史』)

 そののち、浅見は第三次「早稲田文学」の編集に当り、代って尾崎一雄が砂子屋に参画する。ほかにも宮内寒弥、斉木哲太ら早稲田の人々が加わって、和田伝田畑修一郎らの作品を世に出し、また「農民文学叢書」「黒白叢書」など意欲的な企画出版をおこなった。一冊一冊、装幀にも意を用い、吟味してていねいに作られた「砂子屋の本」は、文学を愛する多くの人々の支持を得るに至ったのである。

 戦後、書肆をたたんだ山崎は郷里に隠棲したが、その名を慕う出版人が彼に乞い社名を譲り受け、いまも文芸専門の同名の出版社が存在している。

(松下真也)