現代文学と早稲田


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現代文学と早稲田

平岡篤頼 

 昨日のこと、朝の10時から仏文科の大事な会議があって、3時頃終わり、教員ロビーでお茶を飲んでいたら、A先生が「またまた、早稲田だね、三人だよ」と言った。「え?」と聞き返すと、「芥川賞直木賞だよ、四人のうち三人が早稲田なんだ。君が知らないとは驚いたな、今朝の新聞に出てたじやないか」とお叱りを受ける。

 帰宅して、急いで新聞をみるとたしかにその通り、芥川賞が『自動起床装置」の辺見庸、直木賞が『青春デンデケデケデケ』の芦原すなお、『夏姫春秋』の宮城谷昌光で、三人とも文学部卒だ。辺見氏は共同通信社外信部次長、宮城谷氏は立原正秋編集長時代の「早稲田文学」に作品を載せたことがあるから、 ふたりとも40歳を越している。それにしても、である。前回の芥川賞も、文芸科卒の小川洋子(『妊娠カレンダー』)だし、その少し前の直木賞も『遠い国からの殺人者』の笹倉明だった。どうして、こうぞろぞろ出てくるのか。

 ぞろぞろ、などと虫けらみたいに言うのは語弊があるが、率直な印象はそんなところである。4月には、小川洋子を指導した教師として、「海燕」誌上で対談したし、かと思ったら6月には、ごく親しくしている仏文卒の渡辺諒君が「群像新人文学賞」の評論部門を受賞したので、お祝いのパーティに招かれた。この時の小説部門の当選作も、多和田葉子の『かかとを失くして』というのだったが、1960年生まれのこの女性も、現在はドイツの大学院に学んでいるが、早稲田の露文科卒だった。昨年の評論部門の当選作「『豊饒の海』あるいは夢の祈り返し点」の森孝雄も稲門出だ。おなじく、『世紀末鯨鯢記』で文芸賞と三島由紀夫賞をさらつた久間十義は、仏文出身だ。

「群像」のこのパーティでは、旧知のある編集者に「どうして、こうぼこぼこ早稲田からばかり出るんでしょうね」と、お世辞まじりに質問された。しかし、ぞろぞろだかぼこぼこだか知らないが、こちらでさえ呆気に取られているので、「さあねえ、何故なんでしょうねえ。素質のある学生が勝手に早稲田に来て、勝手に育つんでしょうかねえ」と、はなはだ無責任な答えを返すしかなかった。一に学生、二にキャンパス、三、四がなくて五に教師、などと学生にこき下ろされる程ではないにしても、何程のことを教師が教えこめたろう。だいいち、最初から無い才能を育てることなんか、金輪際できっこない。

 恐らくは、教師が講義で教えることよりは、学生相互の会話のほうが余程刺激になるのであろう。現代文学会とかフランス文学研究会とかのサークルでは、先輩の誰が何賞をもらったとか、そんな宣伝文句が入会勧誘に使われているかも知れない。知れない、というよりはまったく知らない。サークル活動は、ほとんど教師と連絡なしに自主的に行われていて、私などもフランス文学研究会のたしか顧問だか何だかを勤めていることになっているが、学生に会ったためしがない。多分、そのほうがいいのかも知れない。もっと彼らの中に入っていって、積極的に指導したいなどという教師に限って信用できないのではあるまいか。

 またまた、余計なことに筆が滑ったが、8年間ほど文芸科の主任をやり、それ以上に長い間「早稲田文学」の編集に携わっていて学んだのは、事、文学に関する限りは学生と教師も対等だということだ。

 栗本薫や荒川洋治とは、彼らが文芸科三年の時に出会ったが、その時からこちらが学ぶことが多かったという気がする。知識はこちらのほうが多かったが、 面構えをはじめとして、自分の好みに徹し、自分のやりたいことに集中するという点では、ふたりとも群を抜いていた。笹倉明とか波辺諒とかとも友達のような付き合いだった。批評家として売出し中の渡部直巳など、フランス語では随分いじめたものの、 教室の外では大の遊び仲間だ。

 なにをどう言おうと、何故早稲田からこんなに続々物書きが現れるかという理由は、中にいる人間にはほとんどよくわからない。いっそ、外にいる人に決めてもらつたほうが良さそうだ。それに、大勢出るということ、文学賞をもらう人間が多いということも、実は文学の根本的な評価基準からすると、どうでもいいことだ。文学は足し算ではない。百人の新人賞受賞者を足したら、一人の漱石や一人の荷風や一人の鱒二に匹敵するかというと、そんな単純な算術は成り立たないからだ。だから、「早稲田文学」創刊百周年といったお祭りに免じて許して貰うことにして、この種の文章はなるべく書きたくない。

 以上挙げた名前の他にも、ここ数年、見るべき仕事を世に問うた若い書き手が、私のいわゆる《教え子》の中に何人もいるが、彼らに何も教えたという自信はない。文学の世界では、自分が目のつまったいい仕事をすることでしか、真に教えるということは出来ないと思うが、研究の面でも創作の面でも、 私がこの十年ほど怠けたことはないからだ。「早稲田文学」の編集にたずさわることで、三浦哲郎や高井有一や後藤明生ら、ずいぶん多くの稲門出作家たちとの交流の機会を得たが、あっちで入院、こつちで手術などという話を聞くと、当方の残り時間も少なくなったかのようで、気が気でない。村上春樹や青野聡や三田誠広の活躍には対抗すべくもないとしても、やはり《教え子》の夫馬基彦や《飲み友だち》の石和鷹に、「今に見ていろ」などとほざいてみせるぐらいが落ちで、そんな地を這う状態で仰ぎみると、芸術院の高みでなお悠々と仕事をされている井伏鱒二とか新庄嘉章とか八木義徳といった大先輩たちのスケールはやはり凄いと言うしかない。