北村透谷


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北村透谷(きたむら・とうこく)

(本名門太郎、1868〜1894)は小田原出身。明治16年東京専門学校政治科に入学。折からの自由民権運動の嵐の中に身をおくが、大井憲太郎一派の行動についていけず挫折。苦悩と模索の中で自由律叙事詩風の『楚囚之詩』を自費出版するが、自信を喪失し破棄した。のち「女学雑誌」等で評論活動を行い、26年には島崎藤村らと「文学界」を創刊するが、疲れ切って27年5月、25歳で縊死。あまりにも早く近代的自我に目覚めた者の悲劇であった。

参考図版

書簡北村透谷書簡断簡 父快蔵宛 明治17-8年、透谷17〜8歳の頃と推定される。政治少年であった透谷が文学に転ずる径路をものがたる資料。 図書『楚囚之詩』 北村透谷著 明22.4 春祥堂
図書『蓬莱曲』 北村透谷著 明24.5 養眞堂 雑誌『厭世詩家と女性』 北村透谷著 「女学雑誌」第303号(明25.2)所収。妻ミナとの恋愛経験をもとに、愛と現実の矛盾を論じたもの。世に大きな衝撃を与えた。
人物写真「文学界」同人 前列右より星野夕影、戸川秋骨、星野天知、上田敏、後列右より平田禿木、馬場孤蝶、島崎藤村。 明27.4 雑誌「文学界」 明26.1創刊 女学雑誌社